大変幸運なことに、これまで120カ国以上を訪れました。
いつも思うのですが、一体誰がそんなに旅をしたのだろうと。他ならぬ私自身ではあるのですが、どうも今の自分とは違う気もするのです。
たとえばこの写真はグアテマラのアンティグア。この山道を一人で登りましたが、犯罪大国のグアテマラでこのように一人で行動していたことは、今から考えると同じ人間がやっていることには思えません。
一人の人間であることを証明するものの一つは記憶でしょう。もしくは脳かもしれません。
私たちが半分に分かれたら、もちろん死にます。
ですが、プラナリアという生物は何体に切っても、たとえば10等分してもそこから体が生えてきて、完全なる10体になります。
さらには記憶も継承されるのです。たとえば赤が危険という記憶を与えると、10体になったものも同じく赤が危険と認識するようです。
一つの魂という概念を根本から覆す生物と言えます。突然魂が10個に増えるわけですから。
すると一つの答えが浮かび上がります。そもそも我々は大きなエネルギーの集合体の一部で、いろんなエネルギーが加わったり、消えたりを繰り返しているにもかかわらず、記憶だけは継承されているので、一人で生きているような気がするだけではないかと。
肉体の死というものはそう考えると、それほど怖いものではない気がします。
ジャングルの中に身を置けば、生と死が一日で何千と繰り返すのが見えるでしょう。それ自体が地球という生命体の活動です。
地球が細胞分裂した結果が我々。その我々になぜ宇宙の端まで予測できるような知能が与えられたのか。私なりに答えが出ました。
それは地球自体がいつか滅びてしまうので、自分の細胞を遠くまで飛ばしたいという意志の現れだと思います。子孫を残そうとする生物と同じです。
そうやって宇宙に地球の子孫である我々が広がっていくことで、地球自体も、そして我々も永遠に生きることができます。また青春がやってくるのです。
そう考えると今の科学の加速度的な発展も、心配すべきことばかりではないことが分かります。すべての物事には理由があります。
ただそれを正しい方向に使うことが、かつてないほど求められていることは確かです。クリーンエネルギーへの転換は最重要事項でしょう。
あと100年ほど経って科学技術の活用が正しい方向に行っていれば、地球や人間の未来は明るいものになっていると信じています。
いろいろと書きましたが、これからの地球はもちろんのこと、次にまた生まれてくる自分たちのためにも、良い世界にしていきたいと思います。