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ワルシャワは旧市街を戦争で破壊し尽くされましたが、戦後に失われた街並みを「レンガのひび割れ一つまで」忠実に再現し、不屈の精神で蘇らせました。

そのワルシャワ市民の情熱が大変高く評価されたことも手伝い、1980年には例外的な扱いで世界遺産登録を果たしています。

いろいろな旧市街をこれまで歩いてきましたが、市民の誇りそのものであるこの街並みには特に感銘を受けました。美しいのはもちろんのこと、良い空気が流れていました。

ポーランド人の素朴さと優しさも心地よかったです。少し地味なイメージのあるポーランドですが、個人的にはとても素晴らしい国だと思います。

ワルシャワ、そして同じく世界遺産のクラクフも併せて、ぜひポーランドを訪れてみてください。

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アルバニアには小国ならではの立ち回りを余儀なくされてきた歴史があります。

ローマ帝国の支配のあと、オスマン帝国の支配が続き、キリスト教からイスラム教への改宗が進みました。

500年間支配者に従ったあと、1912年に独立を宣言するもドタバタは続き、イタリアやドイツの占領を経て、ソ連の支援を受けたパルチザンが政権を取り、自力で復興を試みますが上手くいかず、ソ連の協力を仰ぎます。

共産主義国として歩み出しましたが、ソ連と対立して中国に接近。中国のプロレタリア文化大革命に刺激され、無神国家を宣言し、一切の宗教活動を禁止して鎖国状態になりました。

その後、中国が改革開放に向かうと、今度は中国を批判。幾多の混乱を経て、1991年に鎖国が終わり、市場主義経済の導入を試みました。

しかし、次は何とネズミ講が国全体で流行し、1997年にネズミ講が破綻すると国民の3分の1が全財産を失い、アルバニア経済は破綻して政権は転覆。

現在は「ヨーロッパで最も貧しい国」からの脱却を目指して、EU加盟を目標としています。

と、そんな大変な歴史を経て今に至る国です。しかしながら、旅行者として訪れてみると、驚くほど美しい建物が多い場所でした。手付かずの状態で残っているのでしょう。

また、国民の7割がイスラム教徒であるものの、皆さん盛大にお酒を飲まれているようでした(笑)。ビールも、その場所で作って出している地ビールが1杯80円ほど。とてもおいしかったのを覚えています。

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強国に挟まれながら、大変な思いをたくさんしてきた彼らですが、アルバニア人としての誇りを持っていることが、写真を撮ると国旗の「双頭の鷲」を両手で作ることからも分かります。

恥ずかしながらコソヴォで出会ったこの青年たちがアルバニア人であったことにあとで気付きました。底抜けに明るいファンキーボーイたちでした。

歴史を見てみると、人間という生き物の特性が見えてきます。小さく歴史は繰り返しているようです。失敗を経て学びを得ています。ですが、なるべくなら失敗は小さく、学びは多くしていくことを心がけたいものです。

アルバニアは見所の多い素晴らしい国でした。小国にもかかわらず、現在まで国を保っているたくましさには学ぶところが多いです。ぜひ訪れていただき、アルバニア人としゃべって、そのエネルギーに触れてみてください。

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2011年6月、スウェーデンからデンマークにバスで行く途中で、ちょっとしたミスをしたようで乗り継ぎができなくなりそうでした。

そこで運転手とひと悶着している間に、唯一声をかけてくれたのが現地に留学している中国人学生でした。

彼の助けもあり、まぁいいかという雰囲気になり、もういい乗れ、ということで乗せてもらうことができました。

とても感謝し、その流れでいろいろと話をしているうちに、彼が中国共産党の家系だということが分かりました。

初めて中国共産党員と分かった人としゃべった貴重な時間でしたが、その彼はとてもナイスガイでした。民主主義のお手本のような国に留学しているため、もちろん視野も広いでしょう。

中国には確かに不平等が存在するかもしれません。中華人民共和国を建国した中国共産党とその親族、友人にはさまざまな恩恵があるでしょう。しかし、そもそも不平等なのが社会というものではないかと思いました。

日本の政治家も二世、三世でないと影響力をうまく発揮できないこともあるでしょう。もしかすると、皆、役割を演じている、または演じざるを得ないだけで、中国共産党員には彼らなりの悩みがあるでしょうし、本質的には全く変わらない同じ人間なんだなぁと思えた瞬間でした。

世界中で出会った中国人は私たち日本人と近い人たちでした。いつも少し懐かしい料理の味を提供してくれました。

国同士の付き合いにはいつもややこしい問題がありますが、そんなときはその国の料理に舌鼓を打って、そうだ、おいしいものが大好きな同じ人間なんだと思い、ゼロベースで向き合いたいですね。