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京都市では少し北の方へ自転車で行くと、自然と人間が調和して暮らしている様子が見られます。

必要以上に生産したり消費したりせず、必要な分だけを生産し消費する。そんな生き方が素敵だと思います。

人間も他の生物と同じように、肩を寄せ合うようにして生きています。飛行機から街を眺めるとよく分かります。

人間には他の生物を根絶する力もあれば、外来種から守る力も備わっています。

そのような力を与えられた人間がなすべきことは、やはり調和を保ち、美しい地球を守り続けることではないでしょうか。

危機に備えて、十分に生産する能力を持ちながらも、影響が出すぎないように生産や消費をコントロールすることは、高い知性を持つ生き方です。

これからも良いものを長く使っていきたいと思います。また、そのような商品をご紹介したいと思います。

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大変幸運なことに、これまで120カ国以上を訪れました。

いつも思うのですが、一体誰がそんなに旅をしたのだろうと。他ならぬ私自身ではあるのですが、どうも今の自分とは違う気もするのです。

たとえばこの写真はグアテマラのアンティグア。この山道を一人で登りましたが、犯罪大国のグアテマラでこのように一人で行動していたことは、今から考えると同じ人間がやっていることには思えません。

一人の人間であることを証明するものの一つは記憶でしょう。もしくは脳かもしれません。

私たちが半分に分かれたら、もちろん死にます。

ですが、プラナリアという生物は何体に切っても、たとえば10等分してもそこから体が生えてきて、完全なる10体になります。

さらには記憶も継承されるのです。たとえば赤が危険という記憶を与えると、10体になったものも同じく赤が危険と認識するようです。

一つの魂という概念を根本から覆す生物と言えます。突然魂が10個に増えるわけですから。

すると一つの答えが浮かび上がります。そもそも我々は大きなエネルギーの集合体の一部で、いろんなエネルギーが加わったり、消えたりを繰り返しているにもかかわらず、記憶だけは継承されているので、一人で生きているような気がするだけではないかと。

肉体の死というものはそう考えると、それほど怖いものではない気がします。

ジャングルの中に身を置けば、生と死が一日で何千と繰り返すのが見えるでしょう。それ自体が地球という生命体の活動です。

地球が細胞分裂した結果が我々。その我々になぜ宇宙の端まで予測できるような知能が与えられたのか。私なりに答えが出ました。

それは地球自体がいつか滅びてしまうので、自分の細胞を遠くまで飛ばしたいという意志の現れだと思います。子孫を残そうとする生物と同じです。

そうやって宇宙に地球の子孫である我々が広がっていくことで、地球自体も、そして我々も永遠に生きることができます。また青春がやってくるのです。

そう考えると今の科学の加速度的な発展も、心配すべきことばかりではないことが分かります。すべての物事には理由があります。

ただそれを正しい方向に使うことが、かつてないほど求められていることは確かです。クリーンエネルギーへの転換は最重要事項でしょう。

あと100年ほど経って科学技術の活用が正しい方向に行っていれば、地球や人間の未来は明るいものになっていると信じています。

いろいろと書きましたが、これからの地球はもちろんのこと、次にまた生まれてくる自分たちのためにも、良い世界にしていきたいと思います。

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村上春樹さんのエッセイ、「ラオスにいったい何があるというんですか?」を読んでいて、実に腑に落ちたことがありました。

ラオスに行って今後の人生で役に立つものはないかもしれない。ただの思い出としてしか残らないかもしれない。でも、そもそもそれが旅というものではないか。それが人生というものではないか。

というようなくだりを読んで、とても救われた気がしました。合理的に考えれば考えるほど実は、人生の本質や願望から遠ざかるような気もします。

旅というのはしばしば人生の縮図に置き換えられます。旅の仕方は人生の生き方に似ているということかもしれません。思い返してみると、そのような節が見受けられます。

そもそも生まれたときには思考すらありませんでした。それが生きているうちに常識や偏見が幾層にも重なり、人生とはこういうものだとそれぞれが考え始めます。

エッセイの文中にも出てきた、ビッグバンから新しいビッグバンの間のわずかな光に過ぎないという立ち位置に身を置いたとき、自分の人生における本質的な部分が浮かび上がってくる気がします。

それでは、旅の目的が旅そのものだとしたら、人生の目的は人生そのものです。

自分に縁のあること、得意なこと、好きなことをやること。体が喜びを感じることをやること。

ただそれだけです。頭の中を空っぽにして、どこに向かいたいのかを感じましょう。